
ACIMの赦しと学び
ACIMの特徴 ~奇跡講座を学ぶにあたって~
<ACIMの大きな特徴とその考え方>
ACIMは、 心ための独習用カリキュラムです。
本当の幸せとは何かを学び、それを得るための手段である「赦し」を実践することで、
本来の幸せを受け入れていくことをゴールとした、いわば「心の地図」です。
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私たちは、生まれてから死ぬまでの間、肉体を持ってこの世界で生きています。
その人生においては、時に人間関係に悩み、お金や肉体に不安を抱いては、
未来が 愛に包まれたものであるように、今よりも幸せであるようにと、誰もが願っています。
だけど、この世界に幸せを見つけることはできません。
幸せは、外の世界にあるわけではなく、心の内にあるからです。
それに気がついた人たちは、
心の内にある幸せを求め、内なる真理を求めて、
ありとあらゆる教えを学んでは、自分に見合った方法を探し求めます。
さまざまな宗教をはじめ、座禅や瞑想、マインドフルネスや呼吸法、
ヨガ、セラピー、インナーワーク、様々なメソッドや原住民に伝わる教え、仏道や古神道、
茶道に華道、武道や古武術、芸術に音楽、作務や農業など・・・
そこに真理を見出そうとするのなら、全てのものがそうかも知れません。
そして それぞれには、
そこに至るための手段と方法、心の平安を得るための さまざまな教えがあります。
ACIMはそうした教えと同じく、内なる心の幸せ、真理へと至る道を示す 一つの方法です。
ただ、ACIMは、
私たちが今まで触れてきた教えや考え方、馴染みがあるそれらの導き方とは大きく異なり、
ACIMならではの特徴と考え方をもって 導いていきます。
ACIMならではの特徴を あらかじめ知っておくことは、
ACIMを学ぶにあたって、とても有効だと感じています。
自分が学んでいるものが、何を意図し、どこに導こうとしているのかを知っていることは、
学びに対する抵抗感を少なくするだけではなく、
自らが行き先を定めるにあたって、方向を見失わずに済むからです。
ここでは、ACIMを学ぶにあたってのポイントやACIMならではの考え方、
特徴など、キーワードを使ってお伝えします。
もしも、ACIMを学ぶ途中で 迷いが生じたり、これでいいのかと 不安になったりした時には、
このページを開いて 再度確認しながら進めていくと、その迷いや不安が、少しは和らぐかもしれません。
その他、振り返りたくなった時には、是非、このページを開いて確認してください。
きっと、あなたのお役に立てることと思います。
ACIMの教えを 理解するために必要なこと
ACIMは、「心」のための学習カリキュラムです。
「心」を正しく理解することは、心の内にある本来の幸せを受け入れるために、何よりも大切です。
ただ、ACIMが教える「心」とは、私たちの一般的な理解と大きく異なっています。
そうした教えや、異なった概念の理解を受け入れやすくするための キーワードとポイントです。
1,すべてを受け入れるために必要なのは、ほんの少しの「意欲」です。
ACIMが示す内容は、どれも異質なものに思えるため、それらを理解するには 思考の逆転が必要です。
それには、今まで学んできた、あらゆるものごとに対する認識を脇に置き、
新しい学びを受け入れる「意欲」が必要です。
「意欲」がなくては、学びは深まりません。実践も伴わず、理解も不可能です。
ただ、異質で新しいことを学び始めた私たちの心に 間もなく見えてくるのは、大きな混乱や葛藤です。
それでも、そこで 最も必要とされることは、ほんの少しの「意欲」だけです。
学びの過程の中で何があっても、まずは、自分の「意欲」だけを信頼していきます。
2,「言葉」を使って「言葉」を超えたところにあるものを理解していきます。
ACIMの教えは、私たちを正しい方向へと導きます。ACIMが示す言葉の数々は、暗闇の心を照らす光です。
真理に「言葉」は必要なく、「言葉」は象徴の象徴に過ぎません。
ただ、光を理解するには、光を知らない人たちにも理解できるように「言葉」が必要です。
ACIMは、「言葉」を用いながら、「言葉」を超えて心の内奥の真理へと導いていきます。
「言葉」は、「言葉」を必要としなくなるまでの 便利なツールとして捉え、
まずは、ACIMが示す「言葉」の概念を用いながら、「言葉」の奥の内容を理解していきます。
3,理解するために必要なのは「実践」です。
ACIMでは、概念を本当に理解するために 最も重要視しているのが「実践」です。
「実践」なくしては、理解は不可能です。
言葉で理解した概念は、たとえそれが真実であり、真理であったとしても、
体験的な理解がなければ、それは ただの妄想でしかありません。
本当の幸せを受け入れるために、その教えを理解しようとしたり、信じようとしたりする必要はありません。
まずは、ACIMの教えをそのまま受け入れ、「実践」することが何よりも大切です。
4,必要なのは、理解ではなく「受け入れる」ことです。
ACIMの教えはとても異質に感じられます。それを完全に理解することは求められてはいません。
ただ、それを理解するために、「受け入れる」ことだけは求められています。
「受け入れる」とは、それをそのまま「受け入れる」ということです。つまり、価値判断しない ということです。
自分が受け入れられる枠組みの中に落とし込まない ということです。
過去の記憶や経験に当てはめて、解釈しながら「受け入れる」ことはしない ということです。
まず、ACIMの教えを、自らのそうした解釈で歪めないように注意しながら、心の枠組みを拡げ、
その教えに、自分のレベルを持ち上げてもらえるように「受け入れる」ことが大切です。
5,「正直」であることは、理解を正しい方向へと導きます。
ACIMの教えを理解するために、実践する過程で とても大切なことがあります。それは「正直」であることです。
「正直」であることは、ACIMの概念をそのまま受け入れる 助けになります。そして、正しい理解へと導きます。
自分の心を「正直」に見ることができなければ、心を正しく理解することはできません。
正しく理解できないのなら、せっかく概念を学んでも、その理解は 偽りのものとなってしまいます。
まずは、ACIMを実践する際に抱く さまざまな感情を、隠すことなく、心の表面に出すことから始めます。
どんなに小さな心の動揺でも、ごまかさず、嘘偽りなく、表に出すことを繰り返し練習していきます。
6,学びにおいて「一貫」であることは、理解を定着させます。
ACIMの教えは、常に「一貫」しています。
その教えが「一貫」しているからこそ、それを信頼し、安心して学ぶことができるものとなります。
もし、その教えが「一貫」していなかったなら、学びを受け入れても、理解が定着することはありません。
ただ、「一貫」した教えを定着させるには、「一貫」した教えに、自らの心を合わせて学ぶことが必要です。
そして、「一貫」した教えに 心を合わせて学ぶためには、
「一貫」した学びと、「一貫」していない学びの両方を知ることで、その違いに気づくことが大切です。
まずは、常に 心は「一貫」していないことを学び、それを理解していきます。
7,「信頼」の進化は、理解を完全にします。
ACIMの教えを受け入れるには「信頼」が不可欠です。すべての学びを支えるのは「信頼」だからです。
ACIMの教えを「信頼」していなければ、学びを達成することはあり得ません。
そこに疑いがあるのなら、それを学ぶ自分にも疑念をもたらし、同時に不幸をもたらします。
ACIMの教えを"実践"することは「信頼」を学ぶことでもあります。
まずは、自らのささやかな"意欲"を「信頼」し、ACIMが示す"言葉"を そのまま"実践"していく中で、
心に起こる動揺を"正直"に見て、新たな学びを"受け入れる"ことで、 "一貫"した教えへの「信頼」を深めながら、
"心"への理解を完全にしていきます。
ACIMが示す カリキュラムの特徴とポイント
ACIMの教えの中で、最も重要な概念は「贖罪」です。「贖罪」が、柱となるべく中心核を担っています。
「贖罪」は、本来あるべき姿をそのまま保つための概念です。
そして「贖罪」の原理は、原罪にあるのではなく、罪など最初から存在していないことにあります。
ACIMならではのそうした教えの特徴を、キーワードでお伝えしながら、ポイントに触れていきます。
ⅰ,閉じれらた心の扉は、「赦し」で開けていきます。
ACIMの教えの基盤は「赦し」です。ACIMは、一貫して「赦し」を学ぶカリキュラムです。
「赦し」は、心の暗闇に光をもたらす唯一の手段であり、暗闇の中で、閉じた心の扉を開けるための鍵です。
ただ、ACIMが教える「赦し」の概念は、大きく異なっています。
真の「赦し」を学ぶには、知的な理解とともに 体験的な理解が必要です。実践は欠かせません。
「赦し」の概念を理解したり、信じたりする必要は まったくありません。まずは、やってみることです。
「赦し」は、「赦し」を行うことで学びます。実践すればするほど扉は開き、心に光がもたらされていきます。
ⅱ,心の外側の世界を使って、心の内側にある「隔たり」を認識します。
ACIMは、赦しを通して、贖罪を受け入れるようになるためのカリキュラムです。
赦しは、外側に見えている世界の あらゆるものごとや出来事を使って、心の内奥にある真理へと導きます。
だけど、私たちが真理に辿り着くためには、その途中にある 閉じた心の扉、
つまり、それを妨げる「隔たり」に気がつかなければなりません。
「隔たり」は、分離そのものの意識です。心の内の幸せを隠し、本来の姿を見えなくしている正体です。
ただ「隔たり」は、「隔たり」だとすぐに気づくものもあれば、そうでないものもあります。
まずは、心の外側の世界を見ることで 心の内側にある「隔たり」を認識し、それを取り去る方法を学んでいきます。
ⅲ,「恐れ」とは何かを学ぶことで、幸せへと導きます。
ACIMは、本来の幸せへと導きますが、幸せについて学ぶカリキュラムではありません。
幸せとは、愛の反映です。愛は、心の本来の姿です。それを見えなくしているのは「恐れ」です。
「恐れ」は、罪悪感のバリエーションであり、本来の愛に対抗して作り出された感情です。
心を常に支配しているのは「恐れ」であり、本来の愛を見えなくしているのは「恐れ」の源、罪悪感です。
「恐れ」について正しく理解することは、「恐れ」を恐れずに見られるようになるための心を養います。
まずは、心に現れてくる「恐れ」の奥に隠された、「恐れ」に役立っている目的を 意識する練習をしていきます。
ⅳ,「静寂」の中に、本来の幸せがあります。
ACIMの教えを実践する際に 一番大事なことは、「静寂」です。
「静寂」の中心点にすべてがあり、そこに本来の幸せがあるからです。
ただ 心は、「静寂」であることを恐れているため、「静寂」を知りません。
「静寂」であろうとすればするほど、「静寂」から目を背けようと、思考や感情が湧き出してきます。
ACIMでは、そうした時にこそ、一歩退いて「静寂」を学ぶよう促しています。
心の中に現れる ざわついた思考や感情を、丁寧に赦していくことで「静寂」へと誘います。
まずは、心の「静寂」点を認識できるようになるために、赦しを通して「静寂」を習慣づけていきます。
ⅴ,心の「決断」が、すべてを決定します。
ACIMの教えを自分のものとするためには、実践が不可欠です。その時、必要なのは「決断」の力です。
「決断」がすべてのはじまりです。「決断」が、心の中の状態を決定します。
心の中で何を「決断」したのか、意識を向けるようになることは、自らの「決断」に責任を持つことになります。
自らの「決断」に責任を持つことは、自らを幸せへと導くことができるようになるだけではなく、
本来の自分自身を 思い出すことができるようにもなります。
ただ、今は、自分の心の中に「決断」の力があることを忘れてしまっています。
まずは、「決断」の力を思い出すために、心の正しい選択について学び、体験的に理解していきます。
ⅵ,本来の姿に、「中庸」や「妥協」はありません。
ACIMが示す教えに、一部分や部分的に、まあまあやほどほどに、ほんのちょっとや少しだけなら・・・はありません。
それら「中庸」や「妥協」は存在しません。全くないか全部か、何もないか全てか、0か100か のどちらかです。
本来の姿に不完全なものは何もなく、完全でなければ、それは、真理でも 愛でも 幸せでもないからです。
ACIMでは、カリキュラムを学び、赦しを実践し、贖罪を受け入れることで、
「中庸」や「妥協」が全くない、本来の幸せを受け入れることを可能にしていきます。
まずは カリキュラムに従い、自分の心の中にある「中庸」を正直に見て、「妥協」なく赦していきます。
ⅶ,教えの もうひとつの目的は、時間を「省く」ことです。
ACIMの教えの中で、他の教えと大きく異なる 最も大きな特徴は、時間を「省く」ことです。
ACIMでは、問題を問題だと認識しなくなることによって、本来の幸せを受け入れるようにしていきます。
心の"静寂"は 正しい選択を促し、"恐れ"を抱かずに見る心が、問題を知覚することはありません。
"隔たり"を閉じることは、問題を解決し 時間を「省く」ことです。時間が問題を作り出しているからです。
正しい選択によって思い出された 心の"決断"の力を使うなら、時間はさらに「省かれ」ていきます。
"中庸"に甘んじず、"妥協"することなく行う 行程のすべてが、時間を「省く」ことの目的を達成させていきます。
そのために、まずは "赦し"を実践していくことで、"贖罪"を受け入れることを目標にします。
ACIMが導く 実践のプロセスと特徴
ACIMの教えを実践していく際の歩み方は、とても特徴的です。
心の正しい理解と共に、本来あるべき姿へと導くそのカリキュラムは、「聖霊」によるものです。
そのプロセスの全てを担い、贖罪を受け入れられるようサポートする その全責任が、「聖霊」のもとにあります。
導き手「聖霊」が導く、ゴールへと至る道の 道のりの中で、覚えておきたいキーワードとポイントです。
Ⅰ,「何もしない」ことで 信頼を学び、進化させていきます。
ACIMの教えについて、学びの全てを見守り、赦しの実践を可能にしているのは、聖霊です。
聖霊とは、心のすべてを知っている存在です。聖霊だけが、この世界で唯一の救いです。
真理に属し 真理を知っているため、ひとたび 聖霊に意欲が差し出されたなら、その心を必ず 真理へと導きます。
導き手であり教師である聖霊を信頼し、「何もしない」を学んでいくことで、真の信頼を学び 進化させていきます。
「何もしない」ということは、心の内なる行為について、聖霊の機能(はたらき)を邪魔しない ということです。
まずは、赦しを通して「何もしない」ことを学び、体験を重ねていきます。
Ⅱ,赦しのプロセスは、「価値」を学ぶプロセスです。
ACIMが教える赦しは、聖霊による救済の手段です。それは、救済のためのプロセスそのものでもあります。
心のすべてを知る聖霊に、すべて正しく判断してもらうことで、心に 本来の幸せを思い出させるプロセスです。
平安が失われている心は、幸せについて間違った「価値」をつけたことで、本来の幸せを見失っています。
赦しを通して 聖霊にすべて委ねることで、「価値」についての正しい理解と見方を教えてもらうのです。
「価値」とは、心の判断です。「価値」は、心が何を信じているのかによって変化していきます。
まずは 赦しを行いながら、聖霊による「価値」の概念を学んでいきます。
心は何を信じ 何に「価値」を置いているのか、心の内側を丁寧に見ていくことで、本来の幸せを知覚していきます。
Ⅲ,一瞬の心の選択が、永遠の「瞬間」をもたらします。
ACIMが示す教えは、どんなときでも、どんな状況にあっても、時間軸に捉われるものではありません。
実践においては、時間軸の中にありながら、時間軸を超えていきます。
時間は流れているのではなく、過去も未来も存在してはいません。本来の幸せは、永遠の「瞬間」にあります。
赦しは、永遠の「瞬間」において行われ、心の選択と同時に執り行われていきます。
ただ、時間を信じる想念によって 時間は存在し、その一瞬に、隔たりや恐れも生み出されていきます。
永遠の「瞬間」から離れた 本来の幸せは、限定され卑小化され、未来にしか得られないものとなってしまいます。
まずは、時間のその一瞬を聖霊に預けることで、 聖霊から 奇跡の「瞬間」を受け取れるよう学んでいきます。
Ⅳ,心の真の選択は、「対照」を通して学びます。
ACIMの実践は、言葉で概念を理解しながらも、それが心で理解できるようになることが最大の特徴です。
聖霊は、「対照」性のある事柄を、心の外側で体験させたり見せたりすることで、
今まで学んできたことは間違いだった という認識のもと、心の内側で正しい選択ができるように促していきます。
また、本来の姿であるものを、心の内側に「対照」的に示すことによって、ゴールを見失わないようにと導きます。
「対照」を知覚し 正しい心を選択していくことは、幾つもあるように見える選択を超えて、真の選択へと導きます。
それは、本来の幸せを受け入れることの決断であり、贖罪を受け入れるための大切なプロセスです。
まずは、「対照」性のある体験を通して、心の真の選択について 学んでいきます。
Ⅴ,心の「訓練」は、達成へと導きます。
ACIMが示す道のりの すべての行程の中で、聖霊の機能(はたらき)を助け、
プロセスのすべてを支える土台となるのは、献身的に赦しを行おうとする「訓練」された心です。
カリキュラムの実践は、とても地道です。忍耐を必要とし、絶え間ない努力を必要とします。
今まで得てきたものを、すべて捨て去る意欲が求められます。中庸は認められず、妥協のない赦しが必要です。
心が「訓練」されていなければ、そうしたことを前にして 歩みを続けられずに、何も達成することはできません。
純粋な思いで 真剣に、ささやかな意欲をもって 本気で、行い続けていくことが、達成への道を拓きます。
それには まず、心の「訓練」が不可欠です。その「訓練」の度合いに応じて、必要な心の扉が開かれていきます。
Ⅵ,道のりは、常に「柔和」で 優しいものです。
ACIMの教えには、中庸も妥協もありませんが、そのプロセスにおいては、段階があります。
実践には、忍耐も努力も 心の訓練も必要ですが、その歩みにおいては、常に「柔和」で優しいものです。
聖霊の導きに従って それを実践するのなら、時間の中で時間を使いながら、時間は確実に省かれていきます。
それは、自由意志を用いて選択する その内容に沿って、優しく「柔和」な道のりとなります。
「柔和」であることを選ぶ心に、苦痛は伴いません。「柔和」さとは 強さであり、裁かない心のことです。
「柔和」さを知っている聖霊に 道を先導してもらうなら、抵抗の少ない、より「柔和」で優しい道のりになります。
まずは 聖霊を受け入れ、「柔和」さを学ぶことで、速やかに贖罪へと導いてもらいます。
Ⅶ,学びのプロセスは、「螺旋状」に深まっていきます。
ACIMが教える学びの道は、心のその同じ地点を ただ ぐるぐると回るだけの「螺旋状」の道のりです。
一度も離れたことがないその場所から、"対照"的にものごとを見て、正しい"価値"の概念を学び、
"聖霊"にすべてを委ね、 "何もしない"ことを学びながら、永遠の"瞬間"にいることを思い出していきます。
ただ 淡々と、赦しに関する学びと実践を繰り返すだけの「螺旋状」の道には、"訓練"された心が不可欠です。
「螺旋状」に心の中を深く潜っていくようなプロセスでは、時に、方向性を見失ったり、
前進と後退を取り違えたり、時間の感覚がなくなったりと、不安になることが 多々あります。
そんな時こそ、まずは "聖霊"を思い出し、"柔和"な道のりへと先導してもらえるよう委ねていきます。
ACIMが教え導く幸せとは・・・
ACIMは、それを目的とする 他の方法のどれとも同じように、本来の幸せ、完全なる愛へと導くひとつの方法です。
そのゴールへと辿り着くための道しるべであり、心の扉を開きながら歩む ひとつの歩き方です。
ACIMは、真理へと導きますが、真理について学ぶカリキュラムではありません。
ただ、真理とは何かを示し、真理が目指すゴールであると教えています。
そのために、導き手である聖霊の機能(はたらき)を理解し、受け入れることが、ACIMが示す教えです。
この世界にある幸せは、どれも、完全なる幸せではありません。
この世界で経験できる本来の幸せは、完全なる愛の反映である、完全なる「癒し」です。
完全なる「癒し」は、心の内奥につながる、神からのものです。
そして 真理とは、完全なる神の愛そのものです。
ACIMがゴールとするのは、神が住まうところ、すなわち 神の国です。
そして ACIMが最初に目指すのは、神の愛を反映する、完全なる 真の「癒し」が存在するその場所です。
そこに、本来の自分の姿があり、この世界で得ることができる 本来の幸せがあります。
それが、ACIMが教え導く幸せです。
ACIMを学ぶにあたって、
ACIMの特徴として ここでお伝えした これら21のキーワードとポイントは、
自らの学びと実践に基づいたものです。
ここでお伝えしたものは、その中でも 特に大事だと思うものです。
それらキーワードとポイントの内容は、
自らの学びと実践において、スムーズだったから 得られたものではありません。
最初から、強い抵抗感に苛まれ、
ACIMが示す「赦し」がなかなか理解できなくて、過酷で苦しい時期を通り過ぎ、
それでも、ゴールにたどり着きたい一心で、何度も何度も、再スタートしてきたからのものです。
ACIMの学びは、本当に雄大です。
AICMは、心のための独習用のカリキュラムですが、
一人で学ぶには 実に壮大で、実践するには、常に忍耐を必要とするようなカリキュラムでもあります。
この世界と自分の身に周りで起こっているように見える、さまざまな難題を目にし、
日常生活を行いながら、それでも淡々と、一人黙々と、
赦しを実践して行くことは、正直、嫌気がさして来ることさえあります。
「アトリヱ イブキ」の二人は、
ACIMの学びを始めた当初から、毎日 対話の時間を設けながら、学びを深めてきました。
それは 時に、かなり辛いこともありましたが、それぞれの学びをサポートすることにつながっていきました。
また、共に確かめながら 理解を深めていけたことは、心の支えにもなりました。
そうしたプロセスは、
いま、この学びの最終段階に来て、「関係性」という観点からも 大きな役割を担っていたこと、
時間を省くという目的にも 大いに役立っていたことを、強く感じています。
「アトリヱ イブキ」では、
そうした自らの体験から、ACIMの学びと実践に基づいて サポートをするべく、
真の癒しをお伝えすると共に、赦しの実践を通して、本来の自分を思い出すことの お手伝いをしています。
ACIMの学びを始めたい方には、
ACIMの具体的な学びと実践のサポートとして、
赦しの実践講座 や イエスからのメッセージ を提供しています。
「赦しの実践講座」や「イエスからのメッセージ」については、
参考までに、こちら のご案内もご覧ください。
また、ACIMの学びを さらに深めたい方や、
時間を省きたい方、赦しによる真の癒しについて 体験的な理解をしたい方には、
ACIMを基盤とした 対話と傾聴の イブキセッション も行っています。
それぞれの学びにあったスタイルを見つけながら、
どうぞ、ご活用ください。