#.1 新しい年の訪れと共に
- CHIEKO
- 2022年1月21日
- 読了時間: 6分
更新日:2022年1月26日

この一節は、
イエス生誕の時節に ヘレン・シャックマン助教授によって口述されたものであり、
新年を迎えるにあたり イエスから贈られたメッセージです。
ただ、ACIMを通して、イエスは示しています。
一年のどの日も 新年に等しい日であること、時間のどこをとっても始まりであると・・・。
だけど、それを知覚することなく日々を過ごすなら、
繰り返される日常の営みに紛れ、その一瞬が風化されていくのがこの世界の現実です。
このメッセージは、
そうした時間の流れの中で過ごす私たちに、
新しい年を迎えるにあたり 贈られたメッセージのひとつです。
私たちは、このメッセージによって励まされ、
忘れてしまっていたその意志を思い出すべく、心を新たにします。
ここに込められている想いの最大のポイントは、
「これが私たちの意志である」
と思い出すことです。
⁂
このメッセージを読み解いていくと、 ACIMを通して、イエスが伝えようとしている 大切なメッセージが見えてきます。
イエスが、私たちに思い出すようにと伝えていることとは 何なのか、
私たちが忘れてしまっているその意志とは 一体何なのか、
「新年は、喜びと自由の中で始まる。
為すべきことはたくさんあり、私たちはずいぶん遅れをとってしまった。」
以下の文章を、
メッセージに記された キーワードから、読み解いてみようと思います。
~・~・~・~・~・~・~
まず「聖なる瞬間」とは、
聖霊に預ける 時間の一瞬によってもたらされる 時間を超えた瞬間のことです。
それは、ACIMが教える「赦し」がもたらす恩寵です。
時間の一瞬をすべて聖霊に預けるならば、
時間のすべての一瞬は、毎瞬が「聖なる瞬間」になります。
それは、時間と空間を超えた瞬間であり、永遠に続く瞬間の連続です。
大いなる目覚めにおいての持ち場、
つまり、大いなる目覚めにおいて与えられた 私たちの役割とは、
一瞬一瞬に訪れる時間の中で、
すでに与えられている 心の中の「決断の力」を思い出し、
長い間 忘れ去られてきた持ち場について、
時間の一瞬を聖霊に預けることで「聖なる瞬間」に変換するよう助けてもらうことです。
空席にされてきた持ち場とは、時間の一瞬を聖霊に預けることを選択できる場所であり、
持ち場につくとは、そうした真の選択ができるその場所に留まることです。
それは即ち、
聖霊の存在を受け入れることで、時間の一瞬を授けていくその役割を、
選択し続けていくことになります。
そうして、
聖霊の存在を受け入れ「決断の力」を積極的に使っていくことは、
これまで忘れ去られてきた 自らの持ち場について、役割を果たすことになります。
私たちはこれまで、
無意識のままに この世界で人生を送ってきたために、
自分という本来の存在を忘れ、
自分が何者なのかわからないままに、この世界に合わせた人生を送ってきました。
そうした人生は、
本来の自己と生き方を目覚めさせずに、
偽りの自己による偽りの生を 屍のまま生きているに過ぎません。
そもそも、
私たちの真の存在は、時間や空間の中で人生を送るような存在ではなく、
永遠の瞬間の中で、永遠の生を生きる存在です。
イエスは、このメッセージの中で、
大いなる目覚めにおいて 私たちが為すべきことは、たくさんあると言っています。
ACIMの教えは、
「赦し」を行うことで 心を変えることです。
だけど、
その目的は、世界を変えることではありません。
この世界にあるものごとの見方、つまり 心の知覚を変えていくことです。
目覚めのプロセスは、知覚の変化です。
夢の主人公から、夢を見る者としての知覚の移行です。
知覚の移行を経て、知覚を必要としないその場所へと導かれていくことです。
それは つまり、夢から目覚めることです。
知覚の変化は、差異を差異と知覚しないことの表れによって達成されます。
夢は、どの場面をとっても夢でしかなく、
そこに差異を見出すことは、夢を信じていることの証しにほかなりません。
大いなる目覚めにおいての心の変容は、
この世界のものごとを、すべて同じに知覚することで訪れます。
差異を知覚しない聖霊の見方で、
すべて同じと見ることで、これまでとは異なった見方へと変化していきます。
そして その知覚は、
すべての関係性をも変容させていきます。
自分の必要を満たし、相手の必要を満たすために結ぶ 特別な関係性から、
自分の必要が満たされなくても、相手の必要を満たさなくとも、
心の状態は常に満たされ、
一切変わることのない 聖なる関係性への変容です。
それは、人も物も出来事も、
自らの肉体や過去の経験、心の中に沸き起こる感情さえも、
すべてにおいての関係性で変容が起こってきます。
夢の中の関係性は、それが夢である限り、すべてが真実のものではありません。
だから、
この世界のものごとはすべて夢である という知覚によって世界を見るならば、
そこに特別なものは何もなく、差異が生じることもないのです。
そうした知覚の変化に必要なことは、聖霊による正しい見方を受け入れることです。
聖霊の心眼(ビジョン)を共有することです。
聖霊による正しい見方を受け入れる とは、
聖霊を受け入れることであり、「聖なる瞬間」を受け入れることです。
それは、ACIMの最大の教えであり 最初の目的である
「贖罪」を受け入れることと同じです。
そうして、「赦し」という手段によって すべての一瞬が「聖なる瞬間」となったとき、
贖罪が達成され、永遠の瞬間が訪れます。
自らの知覚が完全に変容し、
すべてのものごと、すべての関係性の中に無垢性を見られるようになることで、
夢から目覚め、この世界のすべてのものごとから解放され、
本来の姿を思い出し、
真の喜びと自由の中で、ただあるがままでいることを知るのです。
そこで、
大いなる目覚めのプロセスにおいて、
私たちに与えられた機能(はたらき)が、完全に全うされるのです。
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< メッセージの直訳 >
新年は喜びと自由の中で始まる。
為すべきことはたくさんあり、私たちはずいぶん遅れをとってしまった。
だから、新しい年を迎えるにあたり、
新しい年の訪れと共に、聖なる瞬間である「贖罪」を受け入れなさい。
大いなる目覚めにおいて、
これまで忘れてしまっていた 私たちに与えられている「決断の力」を思い出し、
時間のその一瞬を「決断の力」をもって聖霊に差し出すことで、
あなたの機能(はたらき)を果たしなさい。
新しく迎えたこの一年の一瞬一瞬を、
真に選択することで 差異のない聖霊の見方を共有し、
心を変えてすべて同じに知覚することで、これまでとは違った一年にしなさい。
そして、
あなたと関わる関係のすべての中に 聖霊を迎え入れることで、
あなたのために 神聖な関係にしてもらいなさい。
これが 私たちの意志であることを、今こそ 思い出しなさい。
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