#.2 聖霊によってのみ
- CHIEKO
- 2022年4月27日
- 読了時間: 9分
更新日:2022年4月28日

このメッセージには、
「私たち」が何者であるかを理解するために、必要なことが含まれています。
また、
「聖霊」と「神」と「私たち」の関係性を表す、
大事な内容が含まれています。
このメッセージで、イエスが私たちに伝えようとしている 最大のポイントは、
「あなたの実存こそが、神の智識である」ということです。
このメッセージを通して、
イエスが 私たちに何を伝えようとしているのか わかりやすくするために、
まずは、ACIMで示す「神」について触れていきます。
⁂
ACIMで示している「神」とは、
「一なる神」であり「一なる神の子」の父です。
それ以外の何ものでもありません。
それは、
この世界で一般的に理解されている神とは異なるものです。
ここで示されている「一なる神」とは、
この宇宙も、この世界も、自然や、共に生きる動植物や人間も、
創ることをしなかった神です。
ただ、神自身の愛の中で、一なる神の子だけを創造し、
その愛の中で神の子と共に、永遠なる愛を創造し続けています。
そして、ここで示されている「一なる神の子」とは、
私たち自身のことです。
こうしたことを踏まえて、
このメッセージを最初から、順に 読み解いていこうと思います。
~・~・~・~・~・~・~
まず、聖霊によってのみ の「聖霊」とは、
一なる神が創造した 聖なる霊、神聖なる存在のことです。
神聖なる存在である「聖霊」と
聖霊を創造した「神」とは、厳密に言うと同じではありませんが、
同じ質をもった存在です。
冒頭でイエスは、
「聖霊」によってのみ、私たちは意味あるものとして知覚される
と言っています。
ここまで読み解いてきた言葉を用いてこの部分を言い換えると、
以下のようになります。
一なる神と同じ質をもった、
一なる神の子だけを創造した 父なる神によって創造された 神聖なる存在によってのみ、
私たちは意味あるものとして知覚される。
ここで、一つの疑問が湧いてきます。
一なる神の子だけを創造した神が、「聖霊」を創造したということに、
矛盾があるのではないか と・・・。
この部分に、
「聖霊」を理解するために大事なことが含まれています。
一なる神の子である「私たち」と「聖霊」の関係性を理解するための鍵があります。
そして、
神の子であるはずの「私たち」と「神」の関係性を示す
大切な内容が含まれており、
ここに、一なる神の子だけを創造した神が「聖霊」を創造した理由があります。
私たちは、時間と空間を持つこの宇宙で、
肉体をもった人間として、生と死を繰り返しながら、
あらゆるものと共に 存在しています。
存在とは、形あるものとしてここにある という意味です。
形あるものとは、
肉体の目で捉えられるものに限らず、
私たちの心の中で知覚できるもの すべてを含んで、形あるもの です。
つまり、聖なる霊である「聖霊」も含めてです。
それは、
今ここに生を受けて存在しているもの、
かつて生を受けたもの、これから生をうけるものも含めてです。
また、
物質がもつエネルギーや、
空想や想念、思考や感情のエネルギーも含め、
音や色、数字や形、言葉や文字、体の感覚や心の感覚に表現されるものすべてです。
ただ、
ACIMが示す「一なる神」は、
この世界に存在してはいないため、形あるものではありません。
それため、この世界に表現することはできません。
ここでまた、
ひとつの質問が湧いてくるかも知れません。
一なる神、大いなる神、サムシンググレートなども、
この世界に表現されているのではないか?と。
確かに、私たちの世界にはあらゆる神がいて、
神を信じようと信じなかろうと、それらの神々は、私たちの生活に浸透しています。
それらの神々は、
それぞれの人格をもった形ある神として、この世界で表現されています。
そして、
この世界を創造したとされる 一なる神や大いなる神、
私たちのハイヤーセルフを意味するような サムシンググレートなどと呼ばれている神も、
この世界に存在する神として表現されています。
ただ、
ACIMが示す 「一なる神」は、
形ある神として表現できる神ではありません。
この世界を創造していないので、この世界には存在していません。
それは、確かに実在しているけれど、私たちには、到底わかり得ない存在です。
時に、大いなる神のことを
「ただ在る」とした言葉で表現しているものもありますが、
イエスは、ACIMを通して、
あなたには想像することもできない神を、これ以上知ろうとするのはやめなさい。
と、伝えているほどです。
そしてイエスは、このメッセージで、
そうした「神」に創造された「聖霊」によってのみ、
「私たち」は 意味あるものとして知覚される と言っています。
「聖霊」を創造した一なる神は、
「聖霊」を創造したように、「私たち」を創造しました。
だけど、今、私たちは、
そのことを完全に忘れて、この世界に存在しています。
そのため、
父である「一なる神」のことなど、知るよしもありません。
「聖霊」が創造されたのは、
父なる神の愛の中にいながら 父を忘れてしまった、「私たち」のためでした。
そして「聖霊」は、私たちが否定した「一なる神」に代わるべく、
「私たち」を救うためにこの世界に存在しています。
私たちは これまで、
何万年という時間をかけて、この世界の中に 父なる「神」を探し求めてきました。
だけど、
私たちの生活に浸透している神は、
どれも 父なる神に相応しくはありませんでした。
父なる神は
万能であるはずなのに、辻褄の合わないことを要求したり、
完全であるはずなのに、理不尽な出来事が起こったり、
愛に満ちているはずなのに、胸を預けて信頼できるほどには至らないからです。
そして 誰もが、
そうした神を どこか疑ったまま信じ続けては、
憎んだり 苦しんだりしています。
それゆえに 私たちは、
いつも本当の神を求めながらも、
その代替となるものをこの世界に求め続け、ありとあらゆる理論を繰り広げています。
ACIMが示す「神」の概念は、
私たちが馴染んできた「神」の概念とは 大きく異なっています。
「神聖なる存在」や「本来の私たち」といった捉え方も、大きく異なっています。
ACIMが示す
「神」と「聖霊」と「私たち」の関係性を理解することは、
私たちの父である「一なる神」を理解するだけではなく、
神聖なる存在である「聖霊」や、一なる神の子としての「私たち」
つまり、私たちの本来のアイデンティティーを理解する助けとなります。
それらの関係性を理解するために、
「聖霊」を鍵として、イエスが示すそれらの概念を さらに読み解いていきます。
一なる神が創造した「聖霊」が「神」と同質であること、
一なる神は、「私たち」一なる霊のことも、
「聖霊」と同じように創造した ということは、これまで示してきた通りです。
ということは、「私たち」は、
「聖霊」とも同質ですが、「神」とも同質ということになります。
ここで「私たち」は、
「聖霊」によってのみ、意味あるものとして知覚されます。
つまり、その存在が、実存へと変化していくのです。
この世界に形をもって存在するものから、
この世界では決して表現できない、形なき実在するものとしての存在です。
「私たち」は「神」と同質の存在です。
だけど、そのことを完全に忘れてしまっている「私たち」には、
この世界の中で、それを思い出すことは決してできません。
この世界は、そのことを完全に忘れるために、
私たちが作り出した世界だからです。
そして「聖霊」は、
一なる神の子である「私たち」だけを創造した神と同じ「神」によって
創造された存在です。
それは、この世界において、
「私たち」を創造した 「父なる神」を知っている 唯一の存在である
ということを意味しています。
つまり、「聖霊」だけが、
この世界で、私たちには到底想像することもできない「一なる神」を知る
唯一の存在なのです。
ここで イエスは、
父である「一なる神」のことを忘れてしまった「私たち」に、
「あなたの実存こそが、神の智識だからである。」と、
核心となるメッセージを伝えています。
神の「智識」とは、
この世界の言葉を用いて言い換えるなら、神の「叡智」です。
それは、一切であり、確かさです。
イエスはここで、
私たちの実存こそが、神の一切であり確かさであることを
私たちに伝えています。
そして、
その核心となるメッセージは、最後の部分へと続いていきます。
このこと以外にあなたが受け入れる信念はどれもみな、
あなたの内にある神の声を覆い隠し、
それゆえに、あなたから神を覆い隠すことになる。
と・・・。
一なる神と同質である「聖霊」は、
父である「神」と子である「私たち」との間を繋ぐ、唯一の絆です。
父なる「神」の声を「私たち」に届け、「私たち」の声を「神」に届ける
いわば、代弁者です。
私たちは、「聖霊」と同質であることを思い出すことで、
本来の「私たち」の姿を思い出すことができます。
それ以外に、私たちが本来の姿を思い出すことはできません。
それゆえに、それ以外のことを受け入れるなら、
私たちは、何か異なるものと同質だとみなしていることになり、
父なる「神」の言葉を聞くことはできません。
そして イエスは、
父なる「神」の声が心の内に届いても、
「私たち」と同質である「聖霊」ではないものを受け入れることによって
それを覆い隠し、「神」の声を聞くことができないだけではなく、
私たちの心の中から、「神」自体を覆い隠すことになってしまうのだと伝えています。
一なる「神」が創造した「聖霊」以外に、
私たちが受け入れる信念はどれもみな、「神」を覆い隠すためのものです。
私たちがこれまで親しんできた神々や、肉体や魂、宇宙や世界を創造した神は、
一なる「神」を覆い隠すために作り出した 私たちの想念です。
私たちは、
「聖霊」によってしか、自分たちが実在するものとして知覚されずに、
「神」を思い出すことができません。
「私たち」は、「聖霊」と「神」と同質な存在です。
それを思い出すためには、
「神」が創造した「聖霊」だけを頼りにすることです。
「聖霊」の存在を理解し、
「聖霊」だけを受け入れることによって
「私たち」の真のアイデンティティーを完全に受け入れることです。
それ以外を受け入れることなく、
神の国で実存している「私たち」のことを知る「聖霊」に、
「神」のところまで導いてもらうことです。
「私たち」の実存こそが、「神」の一切であり確かさです。
「私たち」は、
「神」と同質である「聖霊」によってのみ 実存するものとなります。
そして、
「私たち」が 一なる霊として実存するものとなることによって、
「神」の一切と確かさが認識されるのです。
その時 初めて、
「神」の智識が 私たちの心に証しされ、「神」の実存が証しされるのです。
・
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<メッセージの直訳>
あなたは、
一なる神と同質である、
一なる神の子だけを創造した父なる神によって 創造された
神聖なる存在である聖霊によってのみ、
神から創造された一なる霊として 実存するものと知覚される。
なぜなら、
一なる神によって創造され、その神と同質である聖霊によって知覚された
あなたの実存こそが、あなたの父である神がもつ一切であり 確かさだからである。
このこと以外に
あなたが受け入れる この世界の様々なものごとや
あなたの心に浮かぶ あらゆる信念はどれもみな、
あなたの心の内に存在している聖霊が届けている 一なる神の声を覆い隠し、
それゆえに、あなたの心の内から、
あなたを創造した 父なる神の実存を 覆い隠すことになる。
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