聖なる心眼(ビジョン)
- CHIEKO
- 2020年6月23日
- 読了時間: 2分
私たちは
自分が 愛そのものであり
愛の存在だと 思い出さない限り
「私たちはひとつである」 ということも思い出せない
私たちは 一人ひとり違っていて
異なる 姿や形 意志を持った
別々の存在だとしか 認識できない
お互いに 奪うことでしか得られない と思い
お互いに どこか欠けている存在だ と思い
他人をうらやみ 自分をけなし
自分に驕り 他人に仕える
そんな 被害者加害者ゲームを
ひたすらに やり続けている
それが 私たち自身ではなく
自我の力動だということを 忘れて・・・
自我は あらゆることを隠そうとし
私たちに備わっている
聖なる心眼(ビジョン)を 封じ込める
まずは その聖なる心眼(ビジョン)が
私たちにあるのだ ということに
目覚めなければ いけない
聖なる心眼(ビジョン)で見る ということに
気がつかなければ いけない
私たちの眼は 肉体にあるのではなく
心の奥に
往古から今も この瞬間にも
一度も失うことなく そこにあるのだから・・・
心の眼で見るとき
私たちは
この世界のすべてが 愛あるものに見えてくる
愛とは何なのかを 思い出す
心の眼で見る それは
いまこの瞬間にいる ということ
過去や 未来に囚われない
いまここに いることでしか
それは 見ることができない
そして
私たちの幸せは そこにあり
私たちが 愛そのものであることを知る
鍵が そこにある

Comments