成長すればするほどに
- CHIEKO
- 2020年6月26日
- 読了時間: 3分
成長すればするほど より大きな天使によって
それはくじかれる
光を求めつつ
光が近づくと 闇の中へと急いでいく・・・
内なる心の探究は それの繰り返しだ
そうして この世界に存在する
いちなる自己の側面の 私自身(自我自身)を体験しながら
螺旋状に 深化(進化)していく
ここのところ
その螺旋の円周が(円なのか楕円なのかわからないけれど) 小さくなっているのか
その螺旋を 忙しくくるくる回っている感じがする
同じ所を回っているようで 深化(進化)しているから
学びや気づきは 更に深くなっているのだけれど
最初は それに気がつかなくて
後戻りしたんじゃないかと 勝手に(自我が)ジャッジして
落ち込んだり 自分を責めたり 意味のないことをしていた
だけど それは
全容が見えない 自我の解釈なんだって その度に 確認することになる
螺旋の円周が どうなっているのかなんて 実際 まったくわからないのだけれど
内なる心の景色は 明らかに変化し 深化(進化)すればするほど
奥深くに封じ込めた 絶対に観たくなかった闇が
ちらりと顔を見せては 湧き出て来る
そしてそれは 時に 昼ドラのような 心の茶番劇に出くわしたりする
だけど 今まで 心の中の いろいろな経験をさせてもらってきたお蔭で
明らかに 深化(進化)してきたお蔭で
自分が作り出した 茶番に気がついて そこから身を引くことも 少しずつ上手になっているのかもしれない
でも そんなことは
内なる心の全容が 自我にはわからないのだから 結構 どうでも良くて
例え 茶番劇に巻き込まれていたとしても 例え 茶番劇に巻き込まれていないとしても
結局 いつも大事なことは
その 私自身(自我自身)を知ることが 内なる心の 目的なのだから
それを 咎めず裁かず価値判断せずに見る ということ 私自身(自我自身)とは戦わずに そこに反応しないってこと
咎め裁き 価値判断している自我を そこに反応している 自我を
咎めず裁かず価値判断せずに 聖なる心眼(ビジョン)で見る ということ
私自身(自我自身)とは戦わずに そこに反応しないってこと
ただそれだけだ
結局 それは茶番劇で そこにそれはないのだから
ないのに あることにして
誤った認識をした 自我自身を
それを価値判断しては反応している 自我自身を
真に赦すことで 癒すこと
ただ それだけなのだ
螺旋の深化(進化)は どこまでも 肉体を纏った人生が終わるまで 続いていく
だけど 茶番に気づく度 茶番という 夢の劇の役を演じきる度
自分自身への愛も どんどん深まってくる
そして 悲劇が喜劇にしか思えなくなって 起こってくるのは 笑いだけになってくる
シェイクスピアは きっと そんなことを伝えたかったのだろう
成長すればするほど より大きな天使によって それはくじかれる
光を求めつつ 光が近づくと 闇の中へと急いでいく・・・
だけど それは 自分自身への愛が深まる 内なる心の深化(進化)のプロセス
恐れることなく 怖がることなく
思い切り いちなる心の側面の 私自身(自我自身)の 茶番劇の役柄を演じ切っていこう
*
私の茶番劇に お付き合いいただいている 配役の方々 いつもありがとうございます
この場を借りて お礼申し上げます (*^_^*)
(追記)
自我を見ることを 目的にしてしまうと 無意識のうちに 自我が頑張って見ようとしてしまうので 苦しくなっていくことが わかりました
自我を見ることが ただ起こっているような感覚で 眺めるように見ることが コツのようです

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